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全てのクジラとイルカの未来のために |
日本は現在海産獣類の監禁の最も熱心なサポート国の1つです。イルカの公開は日本では1930年から行われていますが、最も水族館の数が増えたのは、1960年から1982年の間です。この12年間の間に海産獣類のいる水族館の数は2館から驚くべきことに27館にまで増えました(1984年度第34回IWC会合報告書より)。
捕獲の方法
日本は他の捕獲の歴史をもつ国とは少し違います。アメリカや他のほとんどの国での最も良くある方法は、まさに直接の生け捕りです。日本でもこの手法は使われていますが、しかし一番問題なのは日本の「追い込み漁業」です。これが日本でクジラが捕られ監禁される方法のうちで飛び抜けて多いものです。沖でイルカやクジラの群れが丸ごと取り囲まれ、岸の方へ追い立てられます。網に掛かってしまうと、ほとんどは殺されて食用とされ、一部は水族館に売られます。これらの追い込み漁業は漁師と水族館の便宜協定です。水族館からの報奨金がなければ、「追い込む」本当の必要性はないのです。この事実は追い込み漁業によって捕らえられたクジラの数で簡単に実証されます。1968年から1972年の間に166頭のクジラ目動物が追い込み漁業で捕まえられ、水族館へ送られました。1977年から1980年の間にはなんと322頭が同様に水族館へ送られたのです。
最近行われた追い込み漁業の1つが、日本で監禁反対運動を行っている数少ない団体のひとつ、エルザ自然保護の会によって完全に記録されました[1996年静岡県富戸漁港におけるイルカの漁獲割当量違反に関する報告書(1997年)]。この追い込み漁業では、200頭以上のバンドウイルカと50頭のオキゴンドウが捕獲されました。この日本のNGOの行動は約100頭のバンドウイルカの解放につながりました。しかし、いったん「一番良い」イルカやオキゴンドウが選別され、取り除かれると、残りの動物は屠殺されてしまいます。
この捕獲には10館の水族館が関わっていましたが、実際に動物を受け取ったのはそのうち6館だけでした。本当に恐ろしい状況の中、イルカたちは海から連れ去られ、鎮静剤を打たれ、新しい住処へと運ばれるのです。WDCSやその他の団体による国外からの圧力、そして日本のNGOの活動により、一部のイルカは放され、6頭のオキゴンドウが水族館から戻り、海へ帰されました。この件の全報告書はWDCSから少額の寄付に対して送らせて頂きます。
最近では1999年10月13日に静岡県富戸港で追い込み漁業が行われました。今回は100頭近くの野生のバンドウイルカが沖で取り囲まれ、岸へ追い込まれ小さな湾で網に捕らえられました。翌日、漁師と日本の監禁産業との都合の良い協力活動の中、日本の2つの水族館(伊豆三津シーパラダイスと京急油壷マリーンパーク)の代表者が網に掛かった6頭のイルカを水族館で公開するために選びました。他の69頭のイルカは食肉用に殺されました。残りは放されましたが、彼らのその後どうなったかはわかりません。
今日の状況
1980年代、アメリカなどの国が日本を見せ物用イルカの供給源として頼るようになり、70年代から80年代の追い込み漁業のブームを作り出しました。日本から多くのイルカが、食肉用として殺されるのから「救う」というもっともらしい理屈のもとに輸出されました。現実にはアメリカの水族館は追い込み漁業を助長し、奨励していました。しかし世間からの圧力や西洋諸国での近年の法律は、ヨーロッパやアメリカの水族館が追い込み漁業によって捕られたクジラ目動物の輸入を試みた時はもう終わったことを意味しているのです。
日本がクジラ目動物の監禁を残酷だと認める兆候はありません。それどころか、この産業は拡大し続けています。1997年には5頭のオルカが捕まえられ、そのうち2頭は捕まってから4ヶ月のうちに死んでしまいました。残った3頭は生き延び、現在別々の水族館に入れられています。更に悪いことに、名古屋に新しい水族館が建設されています。開発業者はオルカを飼育する予定で、十分大きな水槽を建設中だと名言しています。最近の報告では、中国の新しいイルカの水族館が日本からイルカの供給を受けたことが明らかになりました。
今日まで日本国外のマリンパークが日本で捕られたオルカを購入したことはありませんでした。イルカの水族館のための捕獲は大抵が野放しで、経験の浅い地元の漁師が主に銛を打ち込み、網へ集めるという2つの方法で行っています。捕獲作業は時にとても残酷で、ロデオのように馬乗りになってクジラと格闘し、コントロールしようとしている姿が報道されています。何頭かのオルカは捕獲のすぐ後に死んでいます。例えば1979年に日本の沖で捕獲されたオルカはその後3ヶ月のうちに全て死んでしまいました。日本の「ましな」マリーンパークは、恐らく毎年何千頭もの小型クジラやイルカが殺される原因となっている「イルカの追い込み漁」の連想によるイメージダウンを恐れて、徐々にアイスランドや北アメリカのオルカを求めるようになってきています。
しかし1997年2月、和歌山県太地近くの畠尻湾で10頭のオルカの群れが捕獲されました。伊都那漁業協同組合は2頭の子供を含むオルカの群れを日本の沖50キロのところに見つけました。彼らは8隻の高速ボートを送り出し、群れを囲い、水爆弾を使い、鉄棒を強くぶつけて嵐のような轟音を出し、群れを湾へ追い込むことに成功したのです。群れのうち5頭は監禁産業へと売られ、残りは放されました。太地の捕獲についての詳しい報告書はWDCSまでお申し込み下さい。
鴨川シーワールド
鴨川シーワールドは日本で最も大きな水族館のひとつで、1970年に開館しました。報告によると、ここで今までに飼育されたオルカの総数は7頭です。4頭はすでに死亡、最近では「マギー」が1997年の10月に死亡しました。現在2頭のオス(アイスランドで1984年と1987年にそれぞれ捕獲された「ソー(ビンゴー)」、「オスカー」と、2頭のメス(1987年にアイスランドで捕獲された「ステラ」と1998年1月に水槽で産まれた「ラビー」)がいます。
南紀白浜アドベンチャーワールド(ワールドサファリ)
ここには4頭のオルカがいます。2頭はメスで、アイスランドで1981年に捕獲され、1985年2月までドイツのティアパークで飼育された「ルカ」と、アイスランドで1989年に捕獲された「ラン」。オスの2頭は日本で1985年10月に捕獲され、1ヶ月間太地町立くじらの博物館で飼育された「ゴロー」ともう1頭は1997年に太地で捕獲されたオルカです。
太地町立くじらの博物館
2頭のメスのオルカがここで生き延びています。1985年10月に日本で捕獲された「ナミちゃん」と、もう1頭は1997年2月に太地で捕獲されたオルカです。
伊豆三津シーパラダイス
伊豆三津シーパラダイスには、1頭のメスのオルカ、「アスカ」がいます。オスのヤマトは1989年10月にアイスランドで捕獲され、この水族館で2000年10月に死亡しました。「ヤマト」はフランスのアンティーブにあるマリーンランドで1995年11月まで飼育され、そこではTanoukと呼ばれていました。ヤマトは1995年日本への輸送中にひどい扱いを受けました。フランスを去る前にも彼は肉体的、精神的な健康上の理由から他のオルカから長い間離されていました。伊豆三津シーパラダイスは1999年10月の追い込み漁業に関わった水族館のひとつです(上記「捕獲の方法」を参照)。
しまね海洋館
島根県にあるこの水族館は2000年4月に開館しました。1999年9月にロシアからシロイルカ(オス1頭、メス3頭)を輸入しましたが、2000年3月26日にメスの1頭が死亡しました。